■大名の軍役&貨幣雑談

●桃山時代の太閤検地では1万石につきだいたい軍役300人程で江戸時代中期にはいりますと1万石につき230人くらいまで減り、後期ですと150人くらいまで激減しています。どこもお財布が苦しいので人件費カットカットです

●例外的に江戸後期に入っても異様なほど武士が居たのは薩摩藩で、薩英戦争当時薩摩藩が召集した兵力は前線、内地兵力を合わせるとなんと4万8千ほど。薩摩藩は石高77万石(実際の石高はこの半分で大半の収益は貿易)もちろんこの石高で普通に部下全員に給金など渡せませんのでほとんどの武士が郷士で給金ゼロの半農民でした。(功績をあげると田畑を与えられたりしました)人口の約3割が武士でさらにその家族親族含めると・・・ほんと軍事国家ですね

●関ヶ原くらいですと大体10万石の大名なら3000くらいの兵力なのですが、石高全部が全部部下の給金にあててる分けではありません。大体石高の三〜四割上くらいが領主の直轄領でここからの収益で領主直轄部隊の編成や国を運営していくわけです。なので大抵は100石3〜5人の軍役で10万石の大名なら1万石ほどを直轄部隊の運営、残り6万石を重臣や部下の給金にあてる分けで合計7万石、兵力は少なくて2100、多くて3500くらい。もちろん領国に守備隊も残さなければならないので最大兵力での出撃なんてまずありません。)

●また戦国時代ですと石高ではなく領土からあがる収益で計算(貫高制)していたのでちょっとかわってきます。大体1貫文で 2〜4石くらいです(ただ、銭換算の為物価の上下、価値がほぼ無い悪銭なんかもありますのでこれもかわってきます。その為収入が安定せず、確実な現物である米に税収がシフトしていきました。)
例えば武田の最盛期の最大兵力は5万2000ほどで前線に投入できる最大数は半数の二万五千、ライバルである上杉の川中島当事の最大兵力は2万8600ほどで最大投入兵力は1万7000ほどです。それぞれ太閤検地の石高ですと武田が甲斐22万石、信濃40万石(北部の一部は上杉領)、駿河15万石、遠江、三河の一部(多く見積もっても10万石)東美濃(多くても10万石)、飛騨の一部、上野の一部(3万石くらい?)で合計すると100万石とどくかどうかほどで軍役を一万石300人で考えると多くて3万、これで内地守備隊を残した場合前線投入できる兵力は多くても1万5000(武田は四方に敵だらけ)、上杉ですと川中島当事の支配地域は越後と上野の大半、信濃の一部で越後39万石(他の収入が多いので一概に39万石とはいえないが)+上野49万石(といっても南部の豊かな所は北条が占拠。さらには政情不安定で北条(きたじょう)など油断ならない領主が多い)で動員できるとしても北上野くらいなので多くても兵力は2万、前線投入兵力は10000ほどになってしまいます。(上杉も南の北条、西の一向門徒、味方とはいえ油断できない東越後の揚北衆に囲まれています)もちろん石高は太閤検地の時より若干少ないのですが、兵力だけ多いのは半民半農のパートタイム足軽を雇っているのと、戦地となり流民化した人々をそのまま臨時の傭兵として雇い入れたりなどで兵力増加をはかっている為でもあります。ただそんな兵士ですので忠誠心はあまり無く、大将や部隊長=給料払ってくれる人が倒されたりするとすぐ逃げてしまい戦線崩壊をおこします。北斗の拳のモヒカンどもと一緒で「〜様がやられた!逃げろ!」な訳ですね。逃げるヤツは民兵だ!逃げないヤツは訓練された民兵(一向門徒)だ!ホント戦国時代は地獄だぜ
大体戦国時代ですと領主の銭次第ですが太閤検地時の約二倍は兵力が動員できるようです。
ただし領内の検地を行い軍制改革した勢力などでは太閤検地時に近い兵力動員数になるようです。


●某漫画の虎眼先生は300石で江戸初期ですので直轄兵力は多くて15人。300石取りですので馬に乗って戦場にいきますパッカパッカ。しかし普通だったら300石で15人+馬なんて養ってられません。虎眼先生は道場もありますし虎参りで300石にしては裕福でしょうが、江戸時代中期になると100石取りの武士なんかは軍役2人程になりますがそれでも物価の高騰でかなり厳しい生活です。普段は一人だけのパートタイムの町人を槍持ちなんかにして体面を保ちます。さらに厳しいのが地方の武士で7石(年収3両以下)とか5石(年収2両以下)とかいうすばらしい給金の武士なんて当たり前。給料ナシで家族と畑を耕しながら参勤交代で物価の高い江戸にいってヒイヒイ言う武士も山のようにいました。その為大抵の藩は参勤交代で江戸に出てきた藩士が江戸の悪い風習に染まってゼニを使わないように外出を月何回、何時まで!という規定を設けていたりしました。時間はあってもゼニの無い彼らの楽しみは貸本屋がもってくるエロ・・春画本だったりしたわけです。みんなでまわし読みだー!
ちなみに江戸の町民(大工)の平均月収は2000文くらい(日収なんで割合上下はありますが約一刻(2時間)単位で銀6〜7分(24〜49文))で年収24000文、金6両程で武士なんかよりゼニもってます。余談ですが近隣の農民なんかではUNKの汲み取りで巨万の富を築いた人もいたくらいです(大名屋敷で汲み取ったUNKを肥料として売ったわけですが大名屋敷のUNKは栄養価が高く、肥料としてかなりよかった為入札倍率も高かったのです)武士ですと刀買ったり手入れしたり、参勤交代時の為の衣服買ったり付け届けしたりとなにかとゼニがかかります。武士なんてなるもんじゃないですね。

●ちなみに江戸の吉原で最高級の娼婦である大夫と遊ぶには一日1両+大夫尽きの付き人代金(金1分くらい)+食事代(これが高い!)
地方や幕府公認でない所なら局女郎で100文くらいで夜鷹あたりですとの5文くらいです。さらに某漫画のぬふぅ!が行くような高級野郎専門店(若女形や美少年などなど)ですと銀一枚。掛川だともう少し安いでしょうがけっこう高いみたいですねぬふぅ

■貨幣

時代によって変わりますが大体
金1両=1歩金4枚=16朱=銀50〜60匁=銭4000文
銀1枚=四十三匁
銀1匁(小粒銀)=銭67文
銀1分=6〜7文
1歩金=銀15匁=銭1000文
です。