千石級
軍役:本人(馬上)・侍5・押足軽・立弓・鉄砲・長刀・甲冑持2・槍持2・馬の口取り2・草履取・挟箱持2・沓箱持・小荷駄2
:計二十二人
役職 大概順 位階 役高 御役料 殿中席
1 高家 極位正四位 1500石
21 長崎奉行 諸大夫 1000 4402俵1斗 芙蓉
22 京都町奉行 諸大夫 1500 600石 芙蓉
23 大坂町奉行 諸大夫 1500 600俵 芙蓉
24 駿府御定番 諸大夫 1000 600石 芙蓉
25 禁裏付(天皇付) 諸大夫 1000 1500俵 芙蓉
26 仙洞付(上皇付) 諸大夫 1000 1000石 芙蓉
27 山田奉行 諸大夫 1000 1500俵 芙蓉
29 奈良奉行 諸大夫 1000 1500俵 芙蓉
30 堺奉行 諸大夫 1000 600俵 芙蓉
31 駿府町奉行 布位 1000 500俵 芙蓉
32 佐渡奉行 布位 1000 1500俵 芙蓉
33 浦賀奉行 布位 1000 1000石 芙蓉
33 新新潟御奉行 布位 1000 1000俵 芙蓉
33 羽田奉行 布位 1000 1000俵 芙蓉
39 御持弓頭・筒之頭 布位 1500 300人扶持
46 今大路中務大輔(典薬頭・医師) 諸大夫 1200
47 半井刑部大輔(典薬頭・医師) 布位 1500
49 竹田芭丸(医師) 布位 1000
53 大坂御船手 布位 躑躅
54 留守居番 布位 1000
55 先手弓頭・筒之頭 布位 1500 60人扶持 躑躅
55 火付盗賊改(先手弓頭兼務) 布位 1500 60人扶持
56 御目付 布位 1000
57 使番 布位 1000
58 書院番組頭 布位 1000
59 小姓組与頭 布位 1000
63 御徒頭 布位 1000 躑躅
64 小十人頭 布位 1000 躑躅
70 御鷹匠頭 布位 1000 20人扶持 焼火
軍艦頭並(少佐〜中佐)
布位 1000
歩兵頭並(少佐〜中佐) 布位 1000

 このクラスになると二個分隊規模になる為、一個分隊を指揮する分隊長下士官である「押足軽」が居る。百石級の武士よりも指揮する人数は多いものの厳密には武士扱いではなく足軽待遇で罪を犯した際も切腹ではなく磔にされてしまうのである。
 屋敷の規模は九百坪、長屋門で門番所付きである。
 家老クラスの用人がおり、主人が出勤の際は屋敷内を取り締まり、屋敷も表と奥の区別がある。表は用人の指揮下にあり、客の接待、地行所の事務、主人の身の回り、調度品の保管経営にあたった。奥は女中が五、六人おり、その取締りを老女級のものが取り締まり、奥様付けとなっている。
 長崎奉行は外交問題の取り扱いなどで難しい役目であったが役両四千四百俵一斗の上、長崎での勤務の為役得が多く人気の高い職務であった。
 また高家肝煎は政治的実権はないものの最高官位は四位少将、中将で諸侯の上に位し位階は国持ち大名、老中並みで、江戸城での詰所も幕府成立後に大名に取り立てられた城主格の式を持つ者が詰める雁間であった。

 大阪・山田・奈良・堺奉行と禁裏・仙洞付(上皇付)は格式が高く、五位の位を授けられた。それ以外の職務は布位(六位相当)である。
 千五百石で有名といえば火付盗賊改の長谷川平蔵宣以が居るが彼も本来は四百石旗本で足高制で千百石を足されいる。(同じ千五百高ではあるが火付盗賊改は奉行職より序列が低く、
布位(六位相当)の為五位には任ぜられないなかった。その為長谷川「平蔵」であり〜尉や〜守がつかなかった。)
二千石級
軍役:本人(馬上)・侍8・押足軽2・立弓・鉄砲2・長刀・甲冑持2・槍持5・馬の口取り4・手明・手替2・雨具持・草履取・挟箱持2・沓箱持・小荷駄4
:計三十八人
役職 大概順
位階 役高 御役料 殿中席
3 駿府城代 諸大夫 2000石
16 御旗奉行 諸大夫 2000石
17 作事奉行 諸大夫 2000石 芙蓉
18 普請奉行 諸大夫 2000石 芙蓉
19 小普請奉行 諸大夫 2000石
20 甲府勤番支配 諸大夫 1000石 芙蓉
28 日光奉行 諸大夫 2000石 500俵 芙蓉
34 西丸留守居 諸大夫 2000石
36 御槍奉行 布位 2000石
38 新御番頭 布位 2000石
軍艦頭(大佐
歩兵頭(大佐)

 ここから先の軍役は百石ごとに二人ずつ増えていく形である
 屋敷は千坪門番所付長屋門であるが二百石級などとは規模が比べ物にならない
 駿府城代も高家肝煎と同じく旗本ながら大名、城主扱いで江戸城では大名の詰める雁間に詰めた。
 幕末の軍艦奉行は一等蒸気船の艦長で陸軍の頭は連隊長を勤めた。
 二千石級は重職が多く、駿府城代は城主格で雁間詰め。また役職に付いた者は殆どが五位の位を授けられた。
三千石級
軍役:本人(馬上)・騎馬2・侍8・押足軽3・若党2・数弓2・立弓1・鉄砲3・長刀・甲冑持2・槍持5・馬印2・馬の口取り4・手明・手替2・雨具持・草履取・挟箱持2・沓箱持2・箭箱持・玉箱持・小荷駄4
:計五十六人
役職 大概順 位階 役高 御役料 殿中席
9 林大学頭 諸大夫 3500 山吹
10 田安殿家老(御三卿田安家家老) 諸大夫 公儀1000俵・屋形1000俵 芙蓉
11 民部卿殿家老(一橋家家老) 諸大夫 公儀1000俵・屋形1000俵 芙蓉
12 宮内卿殿家老(清水家家老) 諸大夫 公儀1000俵・屋形1000俵 芙蓉
13 大目付 諸大夫 3000石 芙蓉
14 江戸町奉行 諸大夫 3000石 芙蓉
15 勘定奉行 諸大夫 3000石 芙蓉
35 百人組之頭 布位 3000石
37 小普請組支配 布位 3000石
陸軍奉行並(中将)
軍艦奉行(少将)
歩兵奉行(少将)

 ここからは上級の旗本で「高の人」と呼ばれ非役になっても三千石以上は小普請入りとはいわず寄合といい、参勤交代のように時々お暇を頂いて知行所に帰る事もある。これを交代寄合といった。よく時代劇で寄合旗本の〜と言うのを聞くことが多いと思います
 直属の兵数が現在の一個小隊にあたり、ここからが隊単位として「
馬印」が許される。また主人とは別に馬上指揮官とし家老、給人として二百石級のものが二人おり、その為二騎の口取、若党、槍持、具足持が一人宛つくが実際には二百石支給はされず大抵百俵支給ほどである。彼らが大名で言えば家老にあたりこの下に中級、下級の侍がいる。
 知行所は五、六村にわたり(村の規模にもよるがそこそこ大きい村だと一箇所)知行所にも屋敷や小規模な役所があったりし、家老の次席である給人が現地で領地を治めていた。
 
 幕末の歩兵奉行は重歩兵6個連隊(12個大隊)、軽歩兵8個大隊を指揮する現代の師団長のような役目です。
 屋敷は千五百坪ほどであるが内緒で下屋敷をもっていたりもした
四千石級
軍役:本人(馬上)・騎馬3・侍9・押足軽3・若党3・数弓2・立弓1・鉄砲3・長刀・甲冑持4・槍持5・馬印3・小物3・馬の口取り7・手替2・雨具持・草履取・挟箱持4・沓箱持2・箭箱持2・玉箱持2・長持4・小荷駄5・槍持3・具足持3・茶弁当・坊主
:計七十九人
役職 大概順 位階 役高 御役料 殿中席
7 書院番頭
諸大夫 4000石
8 小姓組番頭 諸大夫 4000石
40 火消役 布位 300人扶持

 かなりの大所帯で戦時に主人の茶弁当係と坊主(給仕)がつくのはこの四千石からである。
 屋敷は二千坪
 高級旗本ではあるが収入に余裕がありあまり重要な職務にはつかない
 書院番、小姓組番頭は将軍親衛隊の指揮官で先鋒部隊騎兵の大番と違い、将軍直下の防衛騎兵で五番方の中でも「
両番」と言われ格式高く有能な人物は出世の道がひらかれていた。
五千石級
軍役:本人(馬上)・騎馬5・侍9・押足軽4・若党5・数弓3・立弓1・鉄砲5・長刀・甲冑持4・槍持5・馬印3・小物3・馬の口取り9・手替3・旗指6・雨具持・草履取・挟箱持4・沓箱持2・箭箱持2・玉箱持2・長持4・小荷駄5・槍持3・具足持5・小者5・茶弁当・坊主
:計百三人
役職 大概順
位階 役高 御役料 殿中席
2 御側衆 諸大夫 5000石 2000石 -
4 伏見奉行 諸大夫 3000俵 芙蓉
5 御留守居 諸大夫 5000石 芙蓉
6 大番頭 諸大夫 5000石
講武所奉行
海軍奉行(中将)
陸軍奉行(中将)

 直属の部下だけで二個小隊規模とかなり大規模な部隊を雇用しなければならず大変である。
 二百石級の騎馬が5人ほど居り、全員に二百石支給すると千石もかかってしまうので実際は家老格の者が二百石で他は百石ほどである
 五千石高役職の御側衆は石高こそ低いが老中待遇とかなりの格である。他にもかなりの重職につく石高である
 また大番頭は三河以来の編成で十二組からなる幕府直轄の先鋒親衛騎兵の指揮官として幕府初期では大名が就任し、一組は大番組頭4名、大番士50名、与力10名、同心20名の計84名、これら騎兵に付属の徒士等を含めると指揮兵力は400名程で二〜五万石の軍役に匹敵した為、「道中十万石」と言われるほどの格を誇った。
 これより上の旗本は大名の分知などで旗本になった者が多く、役職に付く事はまれであった。、