三十俵級
軍役:本人・小者:計2人
役職 大概順 位階 役高 御役料 殿中席
江戸町同心
各同心
各足軽
二人扶持
二人扶持
二人扶持

 よく時代劇に出てくる江戸町奉行所の同心や某時代劇の御家人さんがこのクラスになります
下記に書いてあります御家人とこの三十俵級との違いは石高で表記されている武士は「
知行取り」で俵で表記されている武士が「蔵米取り」という事です。
 知行取りは百石などの領土を(下級御家人や旗本は幕府直轄領からの支給で実際の領土統治権は無い者が多かった)与えられそこからの収益を受け取っていた為、百石=百石の収入ではなく、幕府の場合ですと四公六民ですので百石の40%が実際の収益になる訳です。
 対して蔵米取りは領土を与えられず幕府の御蔵から支給される給料であり、三十俵の内の四割分を一年に三度に分けて幕府の御蔵から支給され、これを三季の御切米といい、春に四分の一、夏に四分の一、冬に四分の二に分けて受領するがこの時に米ばかり受け取っていたら他の費用が出ないのであとは金に換算してもらうのである。なので中級以上の旗本で無い者はどちらも御蔵取りである為あまり変わりはないようである。

 また役職の項目の横に書いた
扶持であるが、これは役職についた者に与えられる別途給料であり、一人扶持(用は一人の食料)は一日五合の米が支給され、年間一石七斗七升で端数切捨ての五俵が分割で月払いされた。なので二人扶持とは十俵の米が知行とは別に年間支払われるのである。
 ちなみに三十俵二扶持はかなり厳しいお財布事情なのではあるが・・
町奉行所の同心は別であり町人や大名からの付け届け等もある為別途懐に入る金額はなんと数百、中には数千両もあり中級旗本より裕福な者も多く、羽振りが良かったが格式としては足軽で、幕末に江戸町同心も動員された際には、何時もは我が物顔で町を闊歩していた同心が陣傘に胴丸で顔を隠しながら行軍し懇意にしていた娘が失望したという悲しい話もある。

 地方の藩であれば藩の石高によりけりではあるが大体下級の上〜中級くらいの身分である(足軽階級は大抵郷士や無石、物書き組頭(事務方)足軽小頭(小隊長クラスの足軽)で五石五人扶持〜七石等)
百石級
軍役:本人・槍持・中間:計3人
役職 大概順 位階 役高 御役料 殿中席
48 御馬方 100俵 5人扶持 焼火
75 御休息御庭之者支配 5人扶持 焼火
79 小十人 10人扶持
80 小十人御庭番 -
81 御鷹匠 焼火
90 吹上添奉行 5人扶持御役料15両 焼火
91 駒場御薬園預植村左平太 3人扶持 焼火
96 小普請方改役 10人扶持 納戸
97 御作事下奉行 10人扶持 納戸
98 御賄調役小島翁助 70俵 30俵御役料10両
御四季施代金4両2分
納戸
99 御台様御膳所御台所組頭 100俵 10人扶持 納戸
101 御普請方下奉行 10人扶持御手当8両 納戸
106 天文方 5人扶持 -
107 神道方 5人扶持 -
110 同朋方 10人扶持 -
111 狩野祐清(絵師) 15人扶持 -
112 小石川御薬園預芥川小野寺 2人扶持 -
淀川過書船支配 三人扶持 
-

 百石の米の取れる地域を拝領(実際には幕府直轄領からとれる米から領地のとれ高分を支給される)実際収入は四公六民で四十石、これを白米にして三十五石、俵にして役百俵になります。外出時には上記の槍持ち、中間を連れ、家庭内には下女、下男を使うのであるが主人夫婦だけとしても六人、一年の米の消費量が大体八〜九石、残り二十六〜二十七石で時代によって上下はあるが仮に一石を一両として二十六両、四人を最低賃金で雇ったとして五両、残りで塩や醤油その他食材に一人分の薪の費用が二両で総費用が十二両ほどで手元に残るのが九〜十両。それに衣類代、家の修繕武具の手入れ料、交際費などを捻出しなければならず百俵六人泣き暮らしの悪口を言われる位、倹約しても相当厳しい状態である。
 よく百石取りの給料を現代に換算すると〜などで数百万の給金を貰っている事になっているが上記のように槍持や中間を雇っている事を念頭にいれていない事が多い。

 これが小藩であれば中級の上、大藩でも下級の上といった武士であるが幕府では二百石より下はだいたい御家人といって御目見以下である。また地方であれば食物も物価も安いので幕府の御家人よりも生活は楽であった。
 屋敷は組屋敷で大体二百〜三百坪。
 百石で役目についていないと小普請組に入るがこれには一年に二、三人の人足を出すとりきめがあり、寛文頃にはそれにかわって百石は金一両を幕府に差し出すようになった。ただし長年御役をつとめ小普請に入った者からは徴収しない事になっていた
 百石高で特殊なのは「
小十人」で将軍警護の近衛部隊である五番方(大番、書院番、小姓組、新番、小十人)で小十人に番入りすると二百石以下でも御目見え扱いで旗本格になります。

 ちなみに八丁堀の町奉行支配の与力は百三十俵〜二百三十俵支給されていたが旗本、御家人にはなれなかった
百五十石級
軍役:本人・槍持・中間:計3人
役職 大概順 位階 役高 御役料 殿中席
83 布位代官 布位 150俵 躑躅
46 屋代太郎 150俵 -
66 小石川御薬園奉行 150俵 焼火
83 御勘定吟味方改役 10人扶持 焼火
84 寺社奉行支配吟味方改役 20人扶持 焼火
評定所留役 20人扶持 焼火
85 御勘定 焼火
86 日下部鉄之助 -
87 昌平坂学問所勤番 7人扶持 焼火
88 禁裏御賄頭 100俵 -
109 御数寄屋頭 -
御徒組頭
表火之番組頭

 上層の御家人であるが上記の代官以上の役職につくと御目見扱いであり将軍に謁見する事ができる
 だいたい百石と同格の扱いであるがその分いくらか生活が楽にはなる。
 上記を見ての通り時代劇に出てくる代官は支配地の広大さ(数万石)に比して幕府では最下層に近い武士である。その為悪事に走るものが多い・・とい言いたい所であるが実際は勘定奉行の支配下で監視されており少しでも悪い評判があればすぐに懲免され飢饉で餓死者を出した代官が処罰された事もあった。また不正を行った代官は確実に切腹、おとりつぶしとなった。仕事も多忙で(なんといっても数万石の領土を少ない人員(なんと十数人!)で切り盛りしなければならない為)夜にどんちゃん騒ぎをしていては一瞬で仕事が滞りクビになってしまうのである
しかしそんな中でもしっかり不正を行った代官も居たようである。ただし不正をしなくても地元からの付け届けがあり代官千両と言われ下級の旗本、御家人は代官の職につけるよう願っていた。

 百五十石級で出世した人物として柳沢吉保が有名である。意外ではあるが幕府では下層武士であっても才覚のある者はある程度まで取り立てられ出世する事が可能であり、徳川吉宗の時代には
足高の制により、禄高が低くその地位に見合わないとされた者であっても、その役職中には不足分、例えば百五十石の者が小十人頭(千石高)に抜擢された場合、不足の八百五十石を役目についている間支給され退任後に百五十石に戻るという制度があり、これによって抜擢人事を行う事が可能であった。表記としては「高千高 内八百五十石 本高百五十石」になる。ただしこの制度の為、引退ギリギリまで給料を稼ごうとする高齢の幕臣が増えてしまった。
 特典として
布位(六位相当)の役職についたものは基本家禄高に百俵、遠国奉行には二百俵、町奉行、勘定奉行は五百石、御側衆には二千石が加増されるという内規があった。
他の大名家ではその国柄と財政事情にもよるが出世できる所もあれば先祖の家柄や家禄の為に出世できない藩などさまざまであったようである。
 一万石クラスの大名家であれば大抵家老クラスが百五十石くらいである。
二百石級
軍役:本人(馬上)・侍・甲冑持・槍持・馬の口取り:計五人
役職 大概順 位階 役高 御役料 殿中席
50 法印・奥医師 布位 200石 200俵 連歌
51 狩野春川院(絵師) 布位 200石 20人扶持 -
76 成島邦之助(儒学者) 布位 200俵 200俵 -
82 石原清左衛門(代官) 布位 200俵 躑躅
6 小普請組支配組頭 300俵 20人扶持 焼火
7 甲府勤番支配組頭 300俵 20人扶持 -
12 御台様広敷番之頭 200俵 10人扶持 焼火
13 御簾中様御広敷番之頭 焼火
18 諏訪部鎌五郎 200俵 焼火
19 木村鑓蔵 焼火
20 河合平八郎 焼火
21 両番格御庭番 -
36 御書物奉行 7人扶持 焼火
37 御馬預村松万蔵 200俵 焼火
38 御賄頭 200俵 土圭
39 新御番 200俵 中 内
40 御腰物方 焼火
41 御納戸 焼火
42 大御番 -
43 甲府勤番 -
44 奥御右筆 24両2分 -
48 御馬預 15人扶持 焼火
50 大筒役 7人扶持 焼火
51 御鷹匠組頭 250俵 焼火
55 佐渡奉行支配組頭 200俵 300俵 御役金100両 -
新潟奉行支配組頭 200俵 200俵 御役金80両 -
57 御切米手形改 200俵 焼火
58 御蔵奉行 200俵 焼火
59 二条御蔵奉行 40石 -
60 大坂御蔵奉行 80石 -
61 御金奉行 100俵 焼火
62 大坂御金奉行 80石 -
63 御細工頭 100俵 焼火
64 御材木石奉行 100俵 焼火
65 小普請方 15人扶持 焼火
67 御膳所御台所頭 100俵 土圭
68 御台様御膳所御台所頭 100俵 土圭
69 御簾中様御膳所御台所頭 100俵 土圭
70 表御台所頭 100俵 -
71 儒者 -
72 御畳奉行 15人扶持 焼火
73 漆奉行 100俵 焼火
74 林奉行 焼火
76 御台様方御用達 -
77 御簾中様方御用達 -
78 姫君様方御用達 -
82 川船改役 焼火
89 御鳥見組頭 5人扶持伝馬金18両書状取扱料7両 焼火
92 馬医 焼火
93 千人頭 納戸
94 船大工頭 20人扶持 納戸
100 御徒目付組頭 10人扶持 納戸
102 寄場奉行 20人扶持 納戸
103 寄合医師
法眼打込
104 狩野友川(絵師)
108 御同朋頭 10人扶持 -
講武所奉行支配組頭
八王子千人同心頭
軍艦役並見習(少尉)
歩兵差図役並(少尉)
大砲差図役並(少尉)
持小筒(撒兵隊)差図
役並(少尉)




ここからが御目見で旗本とよばれる階層になる(職務によってはこの石高以下でも御目見で旗本扱いにもなります)
 しかしその台所はとてつもなく厳しく実際に馬を飼っている者はほとんど居なかった(飼い葉の費用だけでも年間費用はバカにならない上、武装の維持費用も百石とは比べ物にならない為)
 ちなみに同じ二百俵相当の町奉行与力は馬に乗らなくてもよい事になっているが騎馬に乗れる階級である為、数を数える場合には一騎、二騎と数えられた。与力は現米八十石とも表記され、この場合八十石取りではなく実際に支給される米(現米)で石高に直すと二百石クラスになります。
 町火消を統率する頭取、相撲取りと並んで町奉行与力は
江戸三男と呼ばれ人気が高かく、各大名家、株仲間や問屋、町人からの付け届け、礼銀などで実収入はほぼ二倍、中には二千石クラスに及ぶ者も居たという。
 大塩平八郎により糾弾され詰め腹を切らされた西組与力、弓削新右衛門などは切腹後、三千両が没収されたとある。
 屋敷は六百坪位を与えられるがその分修理費がかさんでしまうのでいいとも言えない。まさに貧乏旗本である。
 某時代劇の将軍サマは貧乏旗本の三男坊ということでうろついてますが、もし二百石クラスの旗本の三男ですとそうとう苦しいと思います
三百石級
軍役:本人(馬上)・侍・甲冑持・槍持・馬の口取り・草履取・挟箱持・小荷駄:計八人
役職 大概順
位階 役高 御役料 殿中席
43 林左近将監(儒学者) 諸大夫 300俵 山吹
73 姫君様方御用人 布位 300俵 300俵 桔梗
75 河合次郎右衛門 布位 焼火
81 中野又兵衛 布位 350俵 焼火
1 姫君様方御用人並 300俵 100俵 桔梗
3 表祐筆組頭 150俵 -
14 中奥御番 山吹
15 御小姓組 紅葉
16 御書院番
17 駿府勤番 200俵 -
49 小十人組頭
52 勘定組頭 350俵 100俵 焼火
53 寺社奉行支配吟味物調役 350俵 20人扶持 焼火
54 日光奉行支配組頭 300俵 20人扶持 -
軍艦役並(中尉)
歩兵差図役(中尉)
大砲差図役(中尉)
持小筒(撒兵隊)差図役(中尉)

 上の軍役の他に女中、下働きが居り、大体家族を含めて最低十人程を雇わなくてはならず上記の軍役ではなく実際規定通り、侍一人、若党四人、道具持二人、草履取二人、馬の口取り、鋏箱持、沓籠持など12人+家族に下女、人足を雇うと二十人近くなってしまい四百石の収入がないとやっていけない階層でかなり厳しいお財布事情で、登城規定には侍三人を従えなくてはならないとあるが実際に雇われている譜代の侍は一人程であとは雇われ侍で給金は三両二分一人扶持でよく悪口で言われるサンピンとはこの武士の事です。
 三百石の御小姓組はテレビで出てくるような将軍側近の小姓ではなく、将軍親衛隊騎兵で若い人だけではなく、老齢の小姓もおりました。
 屋敷は六百坪であるが長屋門の構えで片番所が付いている

 某漫画の虎眼先生は三百石であるが地方の三百石は江戸とは物価が違いそれなりに裕福であり、掛川藩の規模(2万8000石)からみて藩内では上級の中くらいの扱いであったであろう(たぶん筆頭家老で多くて千石、末席家老だと四百石くらいだろうか)
 一万石の大名であれば筆頭家老が大体三百石クラスである。
四百石級
軍役:本人(馬上)・侍、若党2・甲冑持・槍持・馬の口取り・草履取・挟箱持・小荷駄:計十人
役職 大概順 位階 役高 御役料 殿中席
72 奥祐筆組頭 布衣 400俵 200俵 24両2分 -
74 木村又助(浜御殿奉行) 布衣 400俵 300俵 焼火
78 美濃郡代 布衣 焼火
79 西国郡代 布衣 躑躅
80 飛騨郡代 布衣 躑躅
8 御裏御門切手番之頭 焼火
9 西丸切手御門番之頭 焼火
10 二条御城オ門之頭 120石
-
11
二条御殿番之頭 100俵 -
12 御台様御広敷番之頭 200俵 10人扶持 焼火
13 御簾中様御広敷之番 200俵 10人扶持 焼火
29 天主番頭 焼火
30 富士見宝蔵番頭 焼火
31 大阪破損奉行 80石 焼火
32 具足奉行 10人扶持 焼火
33 大阪具足奉行 10人扶持 焼火
34 御幕奉行 10人扶持 焼火
35 駿府武具奉行 -
軍艦役(大尉)
歩兵差図役頭取(大尉)
大砲差図役頭取(大尉)
持小筒(撒兵隊)差図役頭取(大尉)

 屋敷は六百〜七百坪であるが長屋門の構えで片番所が付いており、門番所には二人づつ門番が座るのですが実際は門番も多数は雇えないので二人の門番が交代で務め、来客の際は取次ぎの侍が取り次いでから主人に報告した。
 さすがにこの階層になると馬も飼っておかなければならず、その分の出費が痛い所であった(飼い葉が年間十両くらいかかってしまうのである)
ただし切り詰めていけば三百石以下よりは生活は楽であり、心がけ次第では貯蓄も出来た