爵位

これもうろ覚えだからあんまり参考にならないかもしれませぬ

皇帝 ヨーロッパにおいては原則としてローマ帝国の後継者、西ローマ帝国である神聖ローマ帝国と東ローマ帝国であるビザンツ帝国、
ビザンツ帝国崩壊後はロシア帝国の二人のみに許された称号であったがナポレオンが皇帝を名乗ってからはこの原則は崩壊した。
古代中国においては秦の始皇帝が各王を打倒し伝説の三皇・五帝の皇と帝を合わせて皇帝を名乗ったのが最初とされている。
大抵の地域では他の王国を倒したり、数カ国を統合した者(王の上に立つ者)としての称号
権力が強そうに思われがちであるが、神聖ローマ帝国では各国王や貴族は独立して行動したり独自の外交をおこなっていたりするので権力は途轍もなく弱く
(足利幕府以下・・)一時期においては貴族の邪魔にならない人物、無能で人畜無害な人物でなければ神聖ローマ皇帝になれないとさえ言われた。
ビザンツ帝国では整った官僚制度があり、比較的安定していたものの後年になると官僚が力をつけ皇帝はお飾りという状態になってしまった
一民族の統治者。皇帝より下になっているが実際は王の支配する地域は独立状態で皇帝も手を出せないので式典とかでもない限りほぼ対等の立場である。
独:Furst 
公爵  おもに国王の一族に与えられる称号でまれに王家に多大な貢献をした者、(マールバラ公やナポレオン旗下の元帥達などなど)国家成立時の重臣などに与えられる。爵位では最上位の称号。
 しかし領土や権力で上かと言われると・・・
独:Markgraf 英:Marquess
侯爵  元々はローマ帝国時代の辺境統治権限をもった「辺境伯」、古代中国の辺境支配者で近隣諸侯を従えた独立勢力の主、「方伯」が由来とされている(方伯があった頃にも侯号はあり、主に異民族などの地方勢力に与えられた)
 王族や王家に多大な貢献をした重臣、地方の有力領主などに与えられた爵位。
 この爵位の有力者は公爵を越える力を持つものも少なくない(公爵が王家一族や独立国になる為にローマ教皇や神聖ローマ皇帝に爵位をもらった小公国で領土も少なく、侯爵が地方の強大な領主だったりする為)
 またセルジューク朝においてアナトリア半島(トルコ)に割拠した国々も侯国、または君侯国と呼ばれ君侯が治めていたが、当時のセルジューク朝においては男子伯侯公の規定がなかったので半独立の大名=侯爵ということで当てはめられた訳である。
昔の日本で言うなら一国を治めている大名、今で言うなら県知事くらい。上記のようにほぼ独立国である事が多い。
独:Graf 英:Grave/Count/Earl(太守)
伯爵  もともとは地方支配の全権を付与されて配置された役人を起源として、都市を拠点として周辺支配を行った太守であり、帝国や王家直属の領土を管理する城主は都市伯などと呼ばれた。
日本で言うなら地方の大名で、今で言うなら大規模な市や郡くらいの領土をもった領主クラス。男爵領を複数配下に持つ。
 パリ周辺を治めたパリ伯(後にカペー朝フランス国王)、フランドル伯、トゥールーズ伯など10世紀前後の地方有力諸侯は伯爵が多く、後にこの地方諸侯から力をつけ王家や侯爵、公爵になったものも多い。
  公・侯よりも偉い方面支配を許された方伯などもあり、たまに公・侯爵より偉くなってしまたりする。
 神聖ローマ帝国内では有力諸侯として伯爵領、司教領、侯爵領、大司教領、公爵領、選帝侯領が散在しており、爵位が上だからといって地位が上であたtり領土が大きい分けでもなく、かなりややこしい事になっている。(また彼らに従う貴族も各都市に散在しており、本領からえらい遠くに領土をもっていたりする。)さらに伯爵にも辺境伯(地方外様大名)宮中伯(領土は殆ど無く棒給による国務大臣)城伯・都市伯(子爵相当)などがあった。
 また神聖ローマ帝国においては
帝国クライス(帝国を10の行政区に分けて地域内の治安維持にあたった)伯部会に属して聖界部会(大規模な教区、領土を持った大司教、司教、修道院)、聖界諸侯部会(所領を持った司教、修道院)俗界部会(大公、公爵、辺境伯等の大領主)、俗界諸侯部会(辺境伯、伯爵等の地方領主)高位聖職者部会(各修道院)、帝国都市部会と共に治安維持にあたった。

古代中国などでは大規模な異民族の部族長を伯(かしら、という意味)と呼んでいたり、中国なんかの神様で伯とつくのがいるのも、その部族で祭られていたり、そこを治めている神様という意味
英:Viscount
子爵 もともとは伯爵の補佐をおこなう副伯が起源とされており、上級貴族の代理として地方を治める代官的な地位である。有力な重臣や多大な功績のあった者(ネルソン提督などなど)が叙される爵位である
この爵位はフランス・スペインに影響を受けた国、中国などにしかなく、神聖ローマ帝国では地方城主に与えられる「城伯(Burggraf)」ブルクグラーフに該当する。
 領土的には一つの町〜小規模な市くらい。
独:Freie Herren 英:baron
男爵
準男爵
大抵は地方の豪族や分家された貴族、名家などに贈られたり国家に大功あった者に授けられる称号。
配下である騎士と主従関係を結び男爵領を統治した。
領土的には騎士の治める数村を統治。日本だと地方の豪族、千石〜数千石クラス
その為さらに大規模な領土を持つ王や伯、侯などの有力諸侯の臣下として仕えるが自分の領土では領主として権力を握っており情勢によっては主君を変える事も多々あった。
男爵以上から昔の貴族院の議員やイギリスの上院議員になれる(伯爵以下で議員になる場合は貴族間の選挙によって選出される場合もある)
ちなみに準男爵はイギリスのみの爵位で他国には存在しない。中途半端な爵位で貴族というより名誉称号的なものでる
(1611年にジェームス1世が膨大な借金を返済する為に爵位売買をおこなった際に出来た爵位である為)
独Ritter 仏:Chevalier 英:Knight
騎士
準騎士
貴族の末端。日本でいうなら200石取りの武士からが騎士クラスだろうか(一つの小さい村、集落の支配者ぐらい)
功績のあった者に与えられる為、現在でもイギリスでは功績のあったものに騎士の叙任が行われている
神聖ローマ帝国の混乱期では今の一軒屋よりちょっとでっかいくらいの城を構えて兵隊数人〜50数人くらいを従えて隣の村の騎士とドンパチやったりする

またプロイセンなどでよく言われるユンカーとは爵位を継承できない貴族の子弟(次男以降)が土地を貰い地主となった者の事で準貴族扱いでこの帝国騎士(ライヒスリッター)に相当するが厳密には騎士階級ではない為姓名にリッター・フォン〜とはつけられないので、中にはユンカー・フォン〜とつける者も居た
補足
貴族はその地の爵位、例えばイングランドのチャールズ・ヴェーン ロンドンデリー侯爵は支配している地域に由来する爵位、ヴェーン伯爵、シーハム子爵、ステュワート男爵をもっており、長男に侯爵・子爵、男爵位を、次男に伯爵位を譲り渡しています。